ヒマラヤ山行記録I”C2”

C2:翌日15日、私はABCで休養。ガイドとコックは物資を背負ってC2設営に向かった。
16日は3人で物資を担いで(私は自分の小物だけ)ABCを出る。出るとすぐにガイドのpasang(パサン)が例によって「simizuサン、ユックリユックリね!」と言って先に行ってしまった。今日も一人旅だ。それでも昼頃に到着し、のんびりと景色を見て過ごす。
17日:私はC1で休養。2人がC2建設に向かった。ところが夕方C1に帰ってきた二人の様子がおかしい。聞いてみるとコックがユマールを忘れC2まで届かなかったらしい。ガイドはC2を建設してきた。ガイドはコックがバテタと言って怒っていた。
18日:起きると今日はC2に向かう予定だったがガイドが一旦ABCに下ると言う。理由を確認するとコックが高山病で動けないらしい。そういえば昨夜コックが私に頭痛と吐き気の薬をくれと言ってきた。私は想定される薬は持っていたので与えたのを思い出した。私がコックに付き添ってABCに下り、ガイドはC2に物資を上げてから下ることになった。コックの荷物を私が背負って(コックは空身)で下る。途中まできたらコックが「simizuサン、荷物がないと足元が安定しないから荷物を返して欲しい」と訳の分からぬことを言い出した。良く見ると登ってくる他の隊のシェルパとすれ違う度にコックは下を向いている。恥ずかしいのだ。シェルパ(族)が客の日本人に荷物を持ってもらい付き添われて歩いていたのではそれは恥ずかしいだろう。きつい上の方は彼も仕方なく歩いていたが下って空気(酸素)が濃くなって元気が出てきたらしい。自分の荷物を担いでスタスタ歩き出したところはABCの少し手前だった。・・・このヤロ〜・・
 記:ucon
 写真:C1からの景色


               

               























                                                       NET山岳会”HALU”

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